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第50話 凶報②

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連載第50回 第三章(十四の2)



文/沖田臥竜


【ここまでのあらすじ】覚せい剤に溺れ、罪のない3人もの命を殺めた元ヤクザの藤城杏樹は、☓☓拘置所内の四舎ニ階、通称『シニ棟』で死刑の執行を待つ日々を送っていた。そんなある日、面会にやってきたヤクザ時代の舎弟であるロキの口から、幼なじみであり兄弟分でもある龍ちゃんが死んだことを聞かされた。




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 あの日以来、龍ちゃんとは会っていないので、どういう心変わりがあったのかオレにはわからない。

 けれど、わかることもあった。カタギになるということが、歳をとればとるだけ難しくなるということだ。

 ヤクザを辞めるだけなら、もちろん辞め方にもよるが、世間が思うほど難しいことではない。組によっても、また立場によっても違うだろうが、辞めたいと思っている者が渡世で生きていけるほどオレのいた世界は甘くない。

 親分に惚れて、兄貴分に可愛がってもらって、ヤクザが好きで好きでどうしようもない奴でさえ、ここ一番の場面で男になれる者などそうざらにはいない。ハナから辞めたい者が、そんな局面に立たされて男を演じきれるわけがない。

 ヤクザをやっていれば、どこかで法に触れている。食うために、生きて行くために、見栄を張るために、どこかで法を侵している。それがよくも悪くもヤクザというものだ。いつお縄についてもおかしくない日々の生活の中で、「辞めたい」と漏らしているような、そんな性根の者と一緒にシノギをかけられるか。事件をうてるか。間違いなくヒネ場(警察)で泣き入れるトップバッターは、そういう奴だ。

 そんな奴に、やれ「人を殺して来い」だの、「ガラスを割って来い」だの、「ダンプで一発突っ込んでこい」だのと命令できるか。

 オレが見てきた限りだが、ヤクザの業界というのは去る者に対して淡々としている。「ヤクザを辞める時には、ケジメとして指をちぎらなければいけない」などと世間では言われたりしているようだが、本来それは逆だろう。ヘタをうったがヤクザを辞めたくないから、破門や処分を解いて欲しいから、組織に復帰したいから、大事な指をちぎるのだ。

 ただ、組に不義理してトンコした奴、組の金に手をつけてばっくれた奴、組の御法度をおこない組織に迷惑をかけて飛んで行った奴、身内の女に手を出し駆け落ちしていった奴、こういう辞め方をすれば別だが、そうでもない限りヤクザを辞めることは、一般人が想像するよりは難しくないと思う。

 大変なのは、ヤクザを辞めることではない。ヤクザを辞めてからだ。ヤクザを辞めたことがイコールカタギではない。

 今の世の中、ヤクザでもなければカタギでもない、半グレで溢れかえっている。なによりオレ自身がそうだ。

 ヤクザの世界からはみ出し、ヤクザでもなければカタギでもない。人間であることさえもが罪になっている死刑囚だ。

 ヤクザをやっていれば、必ずどこかで誰かを泣かしている。それは親かもしれないし、女かもしれないし、子供かもしれないし、友人かもしれない。

 名を売れば売るだけ、銭をつかめばつかむだけ、恨みだって買っている。憎んでいる奴だっている。そういう怨念や屍の上に立っているのがヤクザだ。

 ヤクザという肩書きを外してしまった途端に、落ちぶれていった者をオレは何人も知っている。オレだけではない。この業界で飯を食っていれば、そういう元ヤクザの成れの果てを必ずみんな見聞きしてきている。

 皆、ああなりたくないと、必死に代紋にしがみついて生きているのだ。

 男の値打ちは肩書きではない、と言える人間は立派だ。だけど綺麗事でもある。

 ヤクザを辞めた瞬間に、目に見えた制裁は受けなくても──命を狙われなくても──これまで親友と思っていた奴に思いっきり掌を返され、これまで見下してきた奴に見下され、誰にも相手にされなくなって生きて行く者をどれだけ見てきたか。

 人から組長だの親分だの日本一だと呼ばれ一時の栄光を築き上げた人なら尚更惨めだと思う。

 自分がカス以下だと思っていた相手に見下されることの辛さは、プライドが高ければ高いだけ屈辱だろう。

 若ければまだツブシもきく。しかし、何の取り柄もない、才能もない、極道一筋に生きてきた30過ぎのオッサンが、そうたやすくヤクザから足を洗ってなんなくカタギに転職できるほど娑婆の風は優しくない。

 龍ちゃんもそうした葛藤の中で戦っていたのだろう。そして辞めるタイミングを逃し、チャカを握り締めるハメになったのだろう。

 そしてターゲットのタマを上げて男を上げることなく、相手のスワットから返り討ちにされてしまったのだろう。

 よくある話だ。

 ヤクザをやっていれば、どこにでも転がっている話だ。

 何かを言えば愚痴になるのは、死んだ龍ちゃんが一番わかっていたはずだ。

 オレは沸き立っていた血がスーッと下がって行くのを感じながら、同時にどうしようもないやる瀬なさに襲われていた。

「ロキ......」

 背もたれにダラリともたれかかり、うなだれながら口を開いた。

「えみちゃんと姐のゆまちゃんのことだけは、お前がちゃんとしたれよ」

「わかってま」ロキは静かに返事を返した。

 オレが何か言えるとすれば、それくらいだった。

 オレにとっては、こんなにも悲しくて、こんなにも苦しいのに、龍ちゃんの死は、新聞のベタ記事にすらならなかった。

 ヤクザ一人の死なんて、そんなものなのだろう。

 いったい何人、オレのまわりの人間が死んでいけば、気がすむのだ。一番死ななくてはいけないオレがこうして生きているというのに。

「兄貴、また寄らせてもらいますんで、大事にやって下さい」そう言って立ち上がると、ロキはオレに背を向けた。

「ロキッ!」





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 オレはその背中を呼び止めた。振り返ったロキの視線とオレの視線がぶつかり合った。

 オレは何を言おうとしているのだろうか。もしかして、カタギになれ、とでも言おうとしているのだろうか。

 オレを見つめ返すロキの瞳は、獲物を狙う狩人の眼だった。

 ヤクザの眼だった。

 オレと龍ちゃんに追いまくられて、危うく買ったばかりのゲームソフトを取られかけた泣き虫ロキは、もうそこにはいなかった。

 オレと龍ちゃんもこういう眼をしていた時代があったのだろうか。

「......いや、なんもない。ほんじゃあのうロキ」

──死ぬなよロキ! 殺すなよロキ!──

 口に出そうとした言葉を飲み込んだ。言葉にはせず、心の中で噛み締めた。

──杏くんムリやって。ここヤクザの事務所やんかっ。僕、今から古屋たちと梅田にフィギュア買いに行かなあかんねんから、明日の昼までここおれっなんて絶対ムリやし嫌やって!

──ええからおったらええねんっ。お前のオカンにも頼まれてんねん。家でゲームばっかりして気持ち悪いから外へ連れ出してくれってなっ

──うそやっ! お母さんにいつも、杏くんには死んでも関わるなって言われてるもんっ

──なにっ!? あのばばあ、そんなん言うとんかいっ! それやったら余計に親に未練ないやろっ、なんせオレは時間ないから、しっかりやっとけよっ! んじゃなっ!

──ちょっちょっちょっちょ


 これが、オレがロキをこの世界に引き入れた最初だった。無理矢理、当番の代わりをさせていくうちに、いつしかロキは、自分自身のことを僕ではなく「オレ」と言うようになり、それがいつしか「ワシ」に変わっていった。

「杏くんっ!」と言う呼び方も、気が付けば「兄貴」になっていた。

 ヤクザの出だしなんて、オレが見てきた限り、こんなもんだった。誰かに惚れてヤクザになりました、なんて口で言うほど多くはない。先輩後輩関係のしがらみからとか、仕事を手伝わされているうちにとか、段々とカタにハメられていくものだ。オレも龍ちゃんも似たり寄ったりだった。

──兄弟。いつの間にか、あのオタクのハナタレが、ええヤクザのツラ構えなりよったな。

 あんな泣き虫のビビリに何ができんねんて思てたけど、今日な、兄弟の死を何一つ顔色変えんと最期まで語り切りよったで。

 あいつも死ぬほど哀しいくせに、涙見せんと語り切りよったで。

 それでこそヤクザやわな。ちゃうか、兄弟。

 ロキはええ極道なりよったよ。

 兄弟、どうやそっちは?

 懲役より楽か?

 なあ兄弟

 死ぬゆうのんは、どんな気分なん?

 オレの声はちゃんと聞こえてんの?

 オレはまだ首括られんとしぶとく生きてるけど、情けない話、3人も殺めといて、今でも死ぬのが、殺されんのが怖いやて。

 笑うやろ? 笑ろたってくれや。

 何やってんねん兄弟って、いつもの声で笑ってくれや。

 なんで兄弟、先逝くねん。

 オレに精神鑑定してでも、アホなフリしてでも生きなあかん言うてたクセに、なんでオレのことおいて先逝ってもうたねん。

 死ぬ時は一緒とちゃうんか。

 なんで、なんで兄弟が死ななあかんねん

 なんでやねん龍ちゃん。

 なんでやねん龍ちゃん





 面会室から舎房までの帰り道、渡り廊下から目に入った景色の中には、真っ白な雪が舞うように降っていた。

「ホワイトクリスマスやな」オレを連行していた年輩の看守部長が、しみじみと呟いた。




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